どこから始めたら良いのか訳分からんようになってしまったので、「ひとつ自分の原点に帰ってみよう」と自分が初めて作った小説本(手元にこれ一冊しか残っていない)を捜し出して読んでみる。
※ちなみに、この本は見た目があのソノラマ文庫に似せてあるというかなり罰当たりな装丁です。……ああ、朝日ソノラマ。今年の9月までかぁ……(涙)
ともあれ300頁越え小説本はやり過ぎかと思った遠い日の思い出(でも楽しかった)
自分のサイトでも日誌を書いてますが、そっちは「言わせてくれ」的な傾向でして時に政治とかも含まれたりします。
(イイ年したオッサンだから)
ところでそのうち News にも載るでしょうが、ギルドで夏コミに当選しています。
ただ問題は「金曜日」を引き当ててしまったため、「働く仲間」である僕らメンバーの予定がなかなか確定しないって事です。難しいのぉ。
自分でもケリ付けたいと思っている同人小説(もちろんVirtual-On)があるんですが、作業にかかっている時間を振り返るとリアルで恐いです。年単位の時間がすぎてます。ホントに。
年『単位』ですよ。ゾッとします。
それで浦島太郎の気分なのですが、「ウラシマ効果」といえば、理論物理学とSFの境目にある言葉。
認知度も高いですが身に降り掛かるものとは普通思わないでしょう。
ところが興味深いたとえ話がありまして、ネタ元は「世界一受けたい授業」のT田T矢「先生」のところなんですが。
その中で、「窓の外に美しい光景が次々と繰り広げられる、そして気がつけば時が過ぎていた」その事を、「テレビやモニターの前で時間を過ごす生活」と対照させて、『ふと気がつけば時が過ぎていた』と並べておられました。
ゾッとする話だな、と思ったのです。
きらびやかな「モニターの向こう」を見ていると、時間はどんどん過ぎていく。それは、まぎれもない現実の事。
あなたの部屋の高画質テレビ、職場や個人のモニターはあなたに「新ウラシマ効果」をもたらす四角い窓なのです。
子供の頃に階段やお化け話よりも「宇宙99の謎」や「時間と空間について」の本で眠れないほど恐い思いをしたものです。僕はどうやら高所恐怖症だけでなく、“広”所恐怖症でもあったようですな。
……、や、「無い」って言うのは形容詞としてどうかとは思いますが、トシのせいなのか記憶について危機感を感じるようになっております。
あと、たぶんギルドでは僕は最高齢だったはず(これもうろ覚え)
ちょっと前の漫画「エアマスター」のルチャと同じです。
大きな声で「来年四十だ」と言えます。
ま、それはさておき。
もともと記憶の引出しが開き難い性質ではあったのですが、このところ本当におおげさな話でなく「思い出さない」という事が増えてきました。
少なくとも、普通に「忘れっぽい」僕は、それでも「あ、忘れていた」とか「何か忘れている気がする」というような、記憶の残滓くらいはあったものです。
(気取った言い方しなければ記憶の残りカスですな)
でも今は。
もう本当に『記憶に無い』という形容詞がぴったりの感覚でして、なかなか新鮮です。
何っ、にもっ、、、ありません。
周りの人間から「忘れていたでしょう」と指摘されても、一欠片も思い当たるモノが無いすがすがしい程の空白でございます。
へぇ、こんな風に忘れてしまうのだな、と。
かえってストレス無く自分を見つめられるってのは発見でした。
(あ、オチが無いぞ?)
しばらく(※年単位で) 忙しくて本屋にも校外書店にも行っていなかったら、驚きました。
BLって棚がある!!!
そーかー……、
その昔、突然の流行とともに漫画の棚の一角に「成人向け」とか「ロリコン本」(いまや死語)というタイトルで、現在の美少女漫画系列の棚が出来たときも「いいのか、これ(^_^;)」と思ったものですが、そーかー……。
棚が出来る程の需要があるんだ(汗)
そーかー。
とはいえ、ちょっと残念。
いえ、決して♂♂とかいう性癖を持っている訳では無いのですが、BLが趨勢となると「僕の好きな少年物」がどんどん減っていくなぁ、と。
……
先日、自分の日記のログを整頓していたら「男子中学生とか好きだから(パクリ)」と書いてあるのを発見。
果して告白なのか、ネタなのか、自分でも覚えていないや。